初の月2回東京。独りで新幹線にのるのは何だかとても久しぶりなかんじ。子供らが保育園時代くらいの感じですわ。なんとなくゆったりした気分だったのだが、昼に東京って感じの動きになるとやっぱり6時台のバスに乗る事になってしまった。
新大阪駅の本屋では珍しくポパイを購入してしまった。前夜に画伯が教えてくれたのだった。東京のアート情報なんかといっしょに。新幹線の時にでも読めばと。細かく提案するやん。ポパイは新創刊したあたりに購入したことがあったのだが、ぱらっと読んでまた読むということが無かったので、こりゃぁもうオレはいいわとそれ以来読むことはなかったのだけれど。少し前にもベンリ師匠が古物特集でポパイを買ってみたと連絡があった。2回読むことが無いから僕は卒ポパイですわとお伝えしたのだが、なんやかんやちょっと久しぶりに買ってみるかなぁというかんじで終わっていた。結局買わなかったけれど。
そんなところで画伯から連絡があったのでポパイを購入してみたのだった。今回はチープシック特集。名作本ネタ。とりあえず新幹線で読んでみたのだが、知らない店、知らないブランドだらけで浦島太郎状態だった。うふふ。さらっと読んで終了。やっぱり1回だけになってしまった。僕はもう充分な自由なおじさんになったので、雑誌の影響は受ける事がなくなったのかもしれない。寂しいような寂しくないような。まぁでも捨てるのは忍びないので持って帰って息子にでも読ませることにした。
新幹線に乗る前にはホームでぱっと眼を魅く人がいた。すーっと背筋の伸びた女性だった。車内でインスタを見ていたら新幹線の車窓ストーリーが出て来た。あ、S君の奥さんやん。さっきみかけたのは彼女だったのかと判明した。12年位前の当店開店時にS君とMちゃんと一緒に来てくれて以来だ。タレント、女優業をされている方。ご縁ですなと感慨深くなった。
画伯からはランチした後どないしますかメールが来た。古着屋や古本屋があるとのことだったので時間見ていきましょうと相成った。
静岡あたりでベンリ師匠の状況確認。品川あたりのホテルに居るとのことだった。師匠は画伯とランチする場所の近くにある自転車屋に行く予定だったのだが今日は休みやったと連絡があった。いやん。でもなんだか師匠あるあるかもしれない。とりあえず大崎で出会うこととなった。品川から山手線で大崎へ。ホームにいますとのことで、電車から出てみたらすぐネイビーの開襟シャツに白ニット帽の師匠が居た。ちなみに師匠とは服の色がかぶりがちなので、今回僕は絶対に重ならないであろうラベンダー色のシャツにした。おお!おつかれさまですといいながら降りた電車にまたすぐ乗った。ランチまで時間があるので、何となく予定していたjisetsuの展示会へ師匠といくことに。久しぶりの原宿。駅が変わっておってびっくり。電車、歩きの間も師匠とマシンガントーク。娘さんのことお孫さんのこと、その他諸々。展示会場につくと受付にはNさんの弟さんが居てびっくりしたのだが、まぁ向こうの方が鬼のようにびっくりしていた。ストーリー等、一切あえてあげていなかたったのだ。Nさんはやられたやられたと大変驚いていた。しかもベンリ師匠も一緒で。作戦成功。ざくっと服を見せてもらってから事務所にも案内頂いた。事務所では師匠の原宿バナシがあって興味深かった。原宿に故郷の鉱山つながりで先輩達が沢山いたハナシやベンリ師匠の従兄弟の兄貴と東京で遊んだハナシとか。気付けばランチまでの時間がせまっていたので、代々木に向かった。いやしかし暑いぜ。東京。
ランチするお店をさがしたのだけれど、これだけテクノロジーが発達した時代にグーグルマップではピンポイントで出て来ずだった。あかーんと画伯に連絡したら迎えに行きますとのことだった。しばらくしたら向こうの方から明らかなノリタケ画伯がゆっっくりと歩いてきた。深い緑の開衿シャツを来ていた。挨拶&こっちですわと案内頂いた。落ち着いたこの画伯テンションひさびさだ。会うのは何年ぶりやろう。画伯チョイスのお店FONDいしはらは予想より分かりやすい場所にあった。2F。事前調べでで感じたのとはいい意味で違って素敵だった。老舗の喫茶店のような雰囲気。気後れするようなオシャレ感は無い。静かで落ち着いていた。開衿トリオは全員前菜&大盛りパスタにしてそして乾杯した。僕以外はお酒はそんなにというかんじ。前菜もパスタもどれもこれも美味しかった。眼を見開く感じ。特に前菜のパテは過去最高に美味しかった。12時のお昼時だったが僕達ともう1組だけで静かに時間が流れていた。最高。ベンリ師匠とのトリオの会もはじめて。淡々と楽しく時間が過ぎていった。途中で近くにあるフグレンコーヒーに行こうと決まったのだが、いしはらさんからコーヒーの案内があっていただきますとなった。美味しく飲み終えてほっとして少し間があってからフグレンなくなりましたねと画伯の口からぼそっと出たのが良かった。
ということで古本屋へ突撃することになったのだが、行って見るも開いておらず。残念。ほな古着屋いきましょかと近くにあったところへ突撃。おじさん開衿トリオで突撃して恐縮です。1軒目は昔からあるアメリカな感じのお店。良いなぁて感じ。入口すぐにあったビーンの大きなメッシュバッグが気になった。1万くらいなら買おうかと思ったがその1.5倍したので見送った。ポロスポーツの開襟シャツもあった1.5万くらいならだったがその1.5倍したので見送った。丁寧に選ばれた古着たちが良い感じ。ベンリ師匠はカッコいいアメリカの軍パンを発見していたがそれがなになのかわからなかった。珍しそうだった。画伯が良いですね買えばいいじゃないですかとすすめてきた。近くにもう1軒あるということでそこに突撃。ビルの4階だったか。ここは独自路線というか個性的なセレクトで格好良かった。箱もディスプレイもスタッフさんの接客も。画伯がキャップを発見。僕にこのキャップいいんじゃないですかとすすめてきた。見たらば色も形もめちゃくちゃ好みで、かぶって二人にみせたら二人ともうんうんと頷いてくれた。開衿トリオの絆が深まる感じ。価格も想定内だった。購入決定。スタッフさんからは買い付け時の蘊蓄も聞かせて頂いて興味深かった。ある工場がおそらく何社ものブランドの帽子を作っているというハナシ。帽子の棚には他にもいくつかあったのだが、青い柄生地のジェットキャップが眼に入った。リフレクターやないかい。それを見た画伯は夜歩く時にいいんじゃないですかとちょいいじりしてきたのでこれも買う事にした。あと黒い個性的なシャツを画伯が発見、試着していた。ちょっとフランスの羊飼いのやつみたいな雰囲気。ベンリ師匠も着てみると似合っていた。でも肩のあたりが丸いかんじなのでどうかなぁとなった。そのシャツのブランドは3、4年前から謎に色んなところで見かけていたものだった。この店のオーナーがアメリカで一番最初に発掘してピックしたそう。当時なんと5万着出て来たらしい。興味深いなぁ。ちなみに同じブランドのシャツを僕はGARYOで購入している。でまぁいろいろしていたら突如画伯のテンションが上がってもう2軒あるんですわいきましょー、独りじゃいけなかったんですわと言った。覚醒したかんじ。続いてもう一軒ビルにある古着屋へ向かったのだがそこは開いていなかった。もう1軒はしばらく歩いた半地下にあるところ。突撃するも営業前だった。時間があったので、画伯知り合いのギャラリーに向かったのだがそこも閉まっていた。入口の前にカーテンがかかっていて明らかにしまっていたのだが、画伯はそれを乗り越えドアをこんこんしたり電話したりしていたが、だめだった。以前原宿にあったヴァカントというギャラリー。代々木に移転したそう。昔、アートブックフェアーで行ったことがあった。
古着屋にどうしてもいきたい開衿トリオは、時間を潰すべく近くにあるこれまた画伯がたまにい行くイタリアンでお茶をした。店先にはベンリ師匠が行きたかった自転車屋が扱う自転車が置いてあって師匠が反応していた。開衿ディープグリーンはアイスコーヒー、開衿ネイビーもアイスコーヒー、開衿ラベンダーはビールを飲んだ。空調の効いた店内と開衿トリオ。店内じゃ女性客しかいなかった。集合してから2時間ほど、トリオの空気感が暖まってきたかんじ。ここでは画伯の描く線の書き方なんかも聞いてしまった。僕にはわからないワードがあったが師匠はふんふん言っていた。仕事の話も色々聞いた。いくつかあがった中にうちの周年デザインも入っていた。10周年と言っていておもしろかった。2年過ぎている。いつでもいいですぜ。
最後の古着屋さんは広くて物量もあったのだが、ディスプレイが整然としていたのか情報がはいってこず。疲れもあったかもしれない。ここではラルフのチノのイージーパンツ改造版を開衿ディープグリーンがすすめてきた。はいたらいいじゃないすかと。少し迷ったが似たの持っているからなぁとなった。ヨーロッパのワークジャケットもいくつかあった。小さい黒のモールスキンが安かったのを開衿ネイビーが発見。これは女子が着たら可愛いですよね、うんうん、でもそんな女子は見たことがないすと会話した。
画伯とはここで別れた。僕と師匠は上野にいくことに。そこに行くルートはわざわざ画伯が調べてくれて教えてくれた。あざす開衿ディープグリーン。街には祭りの旗がたっていた。季節なり。先日は阿波踊りがあったそうで、目の前には芸能人一家が見物していたと言っていた。東京やね。
上野では師匠と軍物屋に突撃した。過去2回行っているが品揃えが変わっていなかったので3周ほどして出てしまった。師匠がこれいいねと言っていたやつは僕が初回に買った救命道具入れだった。良いンスよー。手持ちしかできないけれど。
軍物屋の後は近くにあった地下の喫茶店に突撃。タバコのけむりがもくもくで懐かしいかんじ。内装はきらびやかでふるめかしい。アイスコーヒーを飲んだ。ここでは師匠がはじめて見に行った怪獣映画の話を聞いて興味深し。はじめて聞く名前。メジャーじゃないほうのやつ。なんだっけな。ギララだっけか。ぼくはランボー。
ここで師匠とは一旦別れて後ほど銀座で合流することに。師匠は上野泊、僕は浅草なり。
浅草のホテルにチェックインしてからシャワーを浴びて、ひとりでたくちゃんを攻めた。初のカウンターで45分間だれも来ず独り占めだった。軽く済ませるはずだったが結構色々食べて最終カレーまでいきついてしまった。ビールも飲んだし、ホッピーも中身おかわりを1回したね。久々の一人飲みは酒場の全情報が自分に集中するので楽しかったな。最初あるあの緊張感からだんだんほぐれてゆくあのかんじも良い。酒場って素敵。
ホロ酔いで銀座へ突撃。いよいよ今回の目的のトークショーだ。地下鉄を降りて改札に向かうと5m先をベンリ師匠が歩いていた。追いついて合流。無印へ突撃した。完全なる無印なり。途中のフロアではラグがあったりあと、フランスのランプがおいてあっておっとなったのだが、イデー印がついていた。ベンリ師匠の友人も合流。軽やかな北陸弁が心地良い。元気系北陸人てかんじの方だった。元々ベンリーズのお客さんだったそう。トークショーのフロアにいくと太郎さんと松野さんが座っていて楽しそうに会話をされていた。ご挨拶をさせて頂いた。へへへてかんじ。しばらく待っていたらいよいよトークショーがはじまった。90分はあっという間だった。知っていた話が多かったかな。お店を作ったあたりのハナシ、地方にデッドストックを発掘買い付けに行ったハナシなどは本で読んだ内容だった。
あと太郎さんは焼津の漁師シャツを着ていたのだがそれは良い感じだったな。ファッションデザイナー達が反応したそう。いいよねワークウェア。雑貨とは何かという答えはわからなかったけれど、自分が良いと思ったモノを見つけたり、無い物をつくったりして、社会に浸透させて自分にフィードバックさせていくというようなことをおっしゃっていた。当時、雑貨という言葉はあったのだが、いわゆる荒物屋さんのものだったので、雑貨という言葉の概念を広げるため太郎さんは長年店を通して雑貨業に精を出していたて感じ。自分はそういった広げていった先輩方がいたので、雑貨屋と出会ってなんて自由で楽しいのだろうとワクワク出来たのだと思う。他にないものを探したり、他にもある安心感のあるものを独自の提案で扱ってて残りの雑貨業、何年だろう15年くらいかしらね自由で楽しく頑張ろうと思う。
あと、そうそう昼過ぎに開衿トリオでお茶をした時に、画伯が雑貨屋を卒業したベンリ師匠にその辺りのことを質問をしていた。モノを選ぶ感覚アンテナの調整が難しくなったと言っていた。僕は当時リアルタイムでよく聞いていたやつ。それで僕もそろそろそんな感じになるかもなんて言うと、二人が即座に大丈夫と言った。ノリタケ画伯は愛がありますからと言い、それに師匠がうんうんと頷いていた。今回のこの二人のこれ大きかったな。愛ですね。愛。頑張るぜ。
トークショー後は3人で有楽町で一杯。適当なビヤホールにはいったのだが、店が大盛り上がりで会話が困難なほどだった。ビールは美味しかったな。ベンリ師匠が文化屋ができるちょっと前にVANが手がけた雑貨屋みたいなのがあった気がすると言っていた。どんなお店か気になりますやん。松野さんに聞いてみよー。